浪江町 2019年5月

2019年5月、福島県浪江町に伺う機会がありました。

そう。あれから8年間、時間の停まった場所。


福島第一原発からほど近い位置にある、福島県浪江町。

震災の前にはあの、『Dash村』があった場所でもあります。

震災の3日後に町の東部全域が避難指示地域に指定され、

約8千人もの方々が、我が家に帰れなくなってしまいました。


震災から6年が経過した2017年3月に一部避難指示が解除されましたが、

帰還困難区域に指定された地域は、あれから8年が経過した今でも、

まだ一般の人が立ち入ることができません。

今回、その帰還困難区域の中に入る機会がありました。


自動車で通行できる幹線道路から一本横道に入り、検問を受けて帰還困難地域に入ります。

町の沿岸部では大津波による壊滅的な被害があったそうですが、

ここは山あいの地域なだけに、津波の被害こそなかったものの、

激しい地震によって家屋のあちこちが崩れたり倒れたり。

捨てられた自動車、壁が崩れ、屋根だけが残る小屋。

窓ガラスは割れ、扉は壊れ、1階の内部がむき出しになってしまっている一軒家。

そんな光景が、まさに8年前のまま、広がっています。

恐らく8年前と違っているのは、雑草がより生い茂っていることでしょうか。


ここに来るまでの道程では、まさに水平線が見えるかのような

広大な平地が広がっていました。

恐らくそこは、津波の被害を受けた地域でもあったのでしょう。

その延々と広がる平原、目に見えるその全ての土地に対し、

除染作業が行われてきたのです。

土を数十cm剥ぎ取り、袋に詰める。

ただそれだけの作業ですが、そのあまりにも途方もない作業量を思うと、

気が遠くなります。


その周辺には、詰められた土袋が延々と積み上げられた場所が、

いくつも点在しています。

いまこの地域では、その土を処理してもとの土に戻し、

またはより農業に適した土に改良して

農地に戻すという試みが行われているとのことでした。


震災から8年経っても、いまだ人が住むことが許されない場所。

その土地を元に戻し、さらにはより良い土地にしようと、

懸命に努力を続けている人たちがいます。


帰還困難地域に残された住宅の多くは、

この後撤去されてしまうのだそうです。

人が消えた集落に、人の賑わいが戻る日は、やってくるのでしょうか。

Brass For Japan〜横浜から元気を〜

英国式ブラスバンドによる東日本大震災復興支援チャリティコンサート

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